[転載] 耕起が迎えた終焉の物語

海外のWEBメディアには、バイテク農業に関する優れた記事がたくさん掲載されていますが、日本国内のメディアはこうした内容の記事を忌避するため、我々には届きにくいのが現状です。そこで日本バイオ作物ネットワーク(JBCN)では、著者や掲載元から許可をとり、日本語に訳して当サイトに転載します。記事一覧はこちらをご覧ください。今回は、カナダはウェイバーンの農場を家族で営むジェイク・レギーのブログから転載してお送りします。ありがとう、ジェイク!

元記事
A YEAR IN THE LIFE OF A FARMER
A Story of the Death of Tillage

1991年の春、私たちの農場は一変した。

それまで、私の父と祖父はディスクを使って播種をしていた。地面に播種し、覆土する。藁などの残渣をすべて砕いて土中に混ぜ込む必要があったため、作業が終わると畑は一面真っ黒になった。播種後もたくさんの耕起が必要だった。

耕起とは何か

ここで、「耕起」の理解を共有しておきたい。

耕起とは、土壌の攪拌を指す。妻の庭では、ロータリ耕うん機、鍬、シャベルなどが使われるし、広大な畑では耕運機、ディスク、鋤など、土をひっくり返したり藁を砕いたりするものなら何でも使われる。もしあなたが庭仕事をしたり、植物を鉢植えにしたりしたことがあるなら、耕起を経験したことがあるだろう。その目標は、植え付けに適した土床を作ることだ。

では、耕起の何が問題なのだろう。

耕起は本質的に破壊的なものだ。土壌の表層を破壊し、土壌構造を粉砕し、ミミズから微生物にいたるまで、そこに生息するあらゆる生物を殺してしまう。土壌表面を露出させ、無防備にする。あなたは「ダストボウル(Dust bowl)」の写真を見たことがあるだろうか。大規模な砂嵐は、耕起に起因したものだった。

当時、そして農業の歴史の大半において、耕起は必要不可欠なものだった。なぜならば、播種床の準備、雑草の管理について、農家には他に選択肢がなかったからだ。しかし、それは変わりつつある。

1991年、10年間にわたる干ばつや砂嵐、そして農場の収益性の低下を経て、私の父はカナダのサスカチュワン州の農家たちを訪れた。農家たちは耕起を止め、ある革命を起こそうとしていた。

そう、不耕起だ。

私の祖父は、その年の5月の初め、祖母と一緒に数日間山小屋に出かけた。私の父はこの時とばかりにそれまで播種に使っていたディスクを売り払い、エアシーダーを購入した。

大きくて鋭いディスク、ハロー/パッカーバーは不要になった。父は一度の作業で播種、施肥、覆土を行うことができるようになった。山小屋から帰ってきた祖父は当時、エアシーダーの購入をあまり気に留めていないようだったが、次第に耕起は必要ないという考えに至る。

この変化はなぜ起きたのか

いったいどうしてこれほど大きな変化が起きたのだろうか。

耕起からの脱却は、当然のことながら一夜にして起こったわけではない。何年も、いや数十年かけて変化してきたのだ。

1993年、レス・ヘンリー教授Grainews の 3 月 1 日号で「a quite revolution going on in the Canadian Prairies(カナダの平原地帯で起こっている静かな革命)」について書いた。

それによると、カナダ西部で耕起する農家が減少していく仮定には、いくつかのことが必要だった。耕起が世界中で行われていた主な理由の1つが、雑草管理だ。作物をうまく育てるには、農家は雑草のない播種床を準備する必要がある。グリホサートなど汎用性の高い除草剤はもちろん有用だが、あまりにも高価だ。1990年代初頭、安価な除草剤が登場し、この状況が変わった。これがまず一つ目だ。

もう一つの重要な要素が、播種機だ。前年の刈り株 (前年の作物の残渣)を粉砕することなく播種できる機械が必要だった。これもエアシーダーの登場により実現した。それに伴い、一度の作業でより適切な肥料の散布が可能になった。

最後の鍵となる要因は?

農家が抱く変化への強い欲求だ。農家には不耕起栽培に切り替える、変化する理由が必要だった。1980年代に起こったできごとがそのきっかけとなった。10年間続いた干ばつ。農作物の低い買取価格と極めて高い金利による収益性の低下。農家は限界に達ていたし、春になると耕起によって空を土が舞うのを見るのも農家にとってはストレスでしかなかった。不耕起栽培をこれら課題の解決策として理解した多くの農家が、この革命に参加し始める。父が1991年にコンコルドエアシーダーを購入した時、ヘンリー教授が書いたように、不耕起は静かに普及し始めていたのだ。

農家自身が決断した

ここまでのストーリーに登場していないのは、誰だろう。そう、政府だ。

連邦政府や州政府の誰かが農地に直接足を運び、耕起をやめろと言ったわけではない。農家にこの大規模な経営変更を強制したり、奨励した政治家もいない。農家は自ら改善し、リスクを低減させ、より多く稼ぐ機会を見出したのだ。

そしてこれは(偶然にも)環境にとっても最善策となった。農業には、経済と環境の持続可能性という2つの要素が密接に関係する。農業の最も力強い点は、その背後にある世代を超えた遺産だ。私たちは祖父母の肩の上に立ち、子供たちの未来を築いている。土を大切にしない農家は、長く生き残ることはできない。

私の地域では、不耕起が文字通り土壌を救った。私たちは、耕起によって破壊された硬盤の塩性土壌を生み出していた。通常の耕起から連作(つまり圃場を何年も休ませることなく、毎年作物を栽培し収穫する)と直播に移行することで、作物の根が土中深くに伸び、水が浸透する土壌の能力は劇的に向上した。私たちの土壌には余分な有機物は決して多くない。失うわけにはいかないのだ。

こんにち、不耕起は私たちの生産システムの中核をなしている。土壌の表面に2年間ぶんの残渣を見ることがよくある。2つの異なる作物の刈り株が一緒にあるというわけだ。この光景を見ながら、ほんの数十年前が今とどれほど違っていたかを考える。実に驚くべき変化を農家が自身の決断で起こしたのだ。

(よく見ると、背の高いキャノーラの茎とその下の古い麦わらが見える)

不耕起栽培は完璧な農法と言えるか? 違う。欠点もある。

栄養素、特にリンのように大きく移動しない栄養素は土壌表面に蓄積するが、これらが利用できない状況なると、作物は乾燥期に弱くなる。除草剤耐性雑草はますます大きな問題になっているが、これを解決するための新しい有効成分はまだ見つかっていない。畑が濡れていて、大きな轍を作ってしまうこともある。

これらの問題を解決するために、耕起が必要になる場合がある。時には、低温・高湿度な春の天候でも早めに播種できるよう、藁を砕くために土の表面をすき込むこともある。この仕事に絶対ということはない。

また、多くの地域、特に降雨量の多い地域や、土壌が重く収穫量が多い地域では、耕起が必要だ。毎年20〜40インチ(500〜1000 ミリ)の雨が降り、1エーカー(40アール)あたり200ブッシェル(5トン)のトウモロコシを栽培する場合は、不耕起は適切ではない。私が言えるのは、不耕起が、ここカナダ西部の多くの地域でうまくいっているということだけだ。多くの地域では、不耕起はうまくいかないことも多いだろう。

あなた自身で選択しよう

しかし、私が最も強調したいことは、農家が自身が選択することに価値がある、ということだ。不耕起に限らず、環境に良いことをして、生活を改善するという選択をしよう。私たちは政府に助けてもらう必要はないし、ましてや強制されることもない。自分自身で選択するべきなのだ。

農家には土と環境を大切にする強い動機付けがある。なぜならば、それが時の試練に耐え、私たちが受けた以上の機会を子供たちに生み出すことを可能にするからだ。政府を巻き込むことは、その動機を歪め、損なうだけだ。

とはいえ私たち農家も、常に正しい判断ができるわけではない。間違いを犯すこともある。しかし、時とともに、その土地で生計を立てている人々は、ほとんどの場合、土地を正しく管理するようになる。実際のところ、それが農業のすべてではないだろうか。


ジェイク・レギー Jake Leguee
カナダはサスカチュワン州(Saskatchewan)ウェイバーン(Weyburn)近郊の14500エーカー(5800ha)の農地で、デュラム、小麦、キャノーラ、エンドウ、レンズ豆、亜麻を栽培。妻と3人の息子、また別の家族たちとともに農業を営む。農家として、また農学者として農業、科学とビジネスを通じて、より良い社会を実現するために、Global Farmer Networkをはじめ、農業に関する様々な組織に属し、情報を発信している。

(画像出典: Global Farmer Network

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